努力する女は報われない

努力する女。最近は「女性の社会進出」であったり、夫婦が男性だけならず女性も働きに出掛ける「共働き」、更にそこへ子どもの「子育て」であったり姑がいたりすると世の女性というものは如何に努力していることか分かるだろう。

しかし、その努力が必ず報われるものであったら良いのだが、、、現実は非情であることが多い。

ある家庭に住むAさんという女性は上記に書かれた通りの、現代における典型的な「働く女性」であった。仕事に関してのAさんは社内でもバリバリ働く方であったし、その勢いは他の男性社員にも引けを取らないキャリアウーマンの姿そのものであった。

そんなAさんにも人生を添い遂げる伴侶が出来、子どもも授かるなど人生は順調にエリート路線を突き進むのだが、ある日子育てに悩むこととなった。

生まれた子どもの夜泣きが中々止まない、言葉の出遅れが気になる、もう歩けるはずなのに自ら立って歩こうとしないなど挙げれば挙げるほどキリが無かった。

それでもなんとか自身で頑張ろうと仕事のパフォーマンスを可能な限り下げず、ベビーシッターや夫に育児を頼んだりとこれまで以上に努力に励んだ。だが、やはり月日が経っても悩みの数は滞ることなくAさんに押し寄せて行った。

 

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働く女、報われない

それからというもの、今度は別方向からの悩みが降りかかってきた。夫の帰りが遅いのである。訳を尋ねると「仕事の繁盛期でなかなか抜け出すことが出来そうに無い。」ということでAさんは呆れてしまった。自分はこんなにも普段から頑張っているのに、たった一つの仕事だけで根を上げているようであれば家事も育児もほとんど私が行っている今のこの境遇はどうなる?、と。

Aさんはそう思わずにはいられなかった。そして「夫などアテにはならない。」と思い、ますます一人でこなそうとするようになった。

それからというもの、日常のありとあらゆるものがAさんにとって気になり始めた。三歳にもなろうとしているのに未だ言葉が出てこない娘を専門家の所へ連れて行くのだが「大丈夫ですよ、もうしばらくしたら言葉は出てきます。」と言うだけの先生に対し(何が大丈夫なものですか。こんなにも遅れているというのに、専門家なんて頼りにならない。)と発達診断に連れて行くのを止め、娘に対しては「もう三歳になるから添い寝も抱っこも無いからね。ママは今大変だから、今度からは自分で何でもやれるように頑張ろうね。」と自立を促すようにしていった。

それからというもの、家事に子育て、仕事と三つ巴になったAさんにとって夫の存在は邪魔でしかなくなってしまった。相変わらず夫は仕事ばかりに励み、ある日深夜の12時に帰ってきた夫に対して「何でこんなにも遅くなるまで帰ってこないの!?仕事じゃないよね!?」と聞いた所「飲み会の付き合いがあったから。」と答えAさんの頭にはますます怒りが込み上がってきた。

 

「それじゃあもうあなたが帰ってくるのは待たないし、晩ごはんも朝ごはんもその片付けも洗濯も全部一人でやってね!?」と話を打ち切り夫にはもう期待しないようにした。

そしてついに、悩みに苦しむAさんの運命を決定付ける時がやって来た。娘が保育園に行きたがらなくなってしまったのである。それどころか朝食を食べようともせず、Aさんが無理やり口に入れると全て吐き出してしまい飲み物も何もかもダメな状態になってしまった。その姿を見かねたAさんは吐瀉物で汚れたテーブルや床を拭きながら「朝ごはんもう食べなくていいからね!」と言い無理やり娘を保育園へと置いてきてしまった。

働く女、時には「悲劇のヒロイン」になりたがる

それから会社に向かうも今度は電車が人身事故に見舞われ(なんで今日という日に限ってこんなことが起きるの!?)と、とても落ち着いてはいられなかった。おまけに駅で走った勢いで、階段を降りる際に転んでしまい顔からは血が流れ、手は擦り剥いてしまった。会社には結局遅刻をしてこのようなことが起きながらも会社の人たちは冷たい。一言心配するだけで後は仕事に入り上司からは叱られてしまった。

(私は今までこんな人たちのいる環境で仕事をしていたのか?)と感じたAさんは会社を辞めることを決意。しばらくは家事や育児に専念しようと思った。

そして娘を保育園へ迎えに行くと、何やら保育園の先生から呼び寄せられてしまう。なんでも娘の様子が普段よりもおかしい。遊びには全く参加しようとせず表情が暗い。訳を尋ねても何も答えず心配になって今日はなるべく友だちとは遊ばないよう先生と一緒に遊ぶことにしたのだが相変わらず。お昼ごはんを食べたら元気になるだろうと用意したが口に入れたものを吐き出してしまった。連絡帳を見ても今朝のことが何も書かれていないので手がかりが掴めない、朝ごはんは食べましたか?と聞かれたのである。

 

その顔はなんだか自分が子どもを虐待しているかのような眼差しでこちらを見ているような気がしてAさんはたまったものではなかった。そして家に戻ると娘に対し「なんで吐き出しちゃうの!?朝から何にも食べてないでしょ!このままだと死んじゃうじゃない!」と怒鳴った挙句娘を叩いてしまった。

叩かれた娘は泣き出し、(どうせしばらくしたら泣き止むだろう。)と放っておいたAさんだったが一向に泣き止む気配がない。それどころか1時間も2時間、3時間と泣き続ける娘についには恐怖を感じるようになった。

夫が戻ると、その様子がただごとではないことに気がつき娘を抱き上げようとした。するとAさんは「抱っこしないで!抱き癖がつくから。」と怒鳴った。それには夫も「こんなにも泣いているのにどうして何もしてあげないんだ?」と珍しく反論するのだが「あなただけには言われたくない!!」とAさんはそのまま部屋に閉じこもってしまった。

それからAさんは会社に行くのを止め、ますます娘と夫に対する態度が荒々しくなるのだが、ついには「このままだと娘を虐待して殺しかねない。それだけはどうにかして避けたい。」と思い専門家の所へ悩み相談に来たのだと言う。

努力しても報われない「女性的な心」とその心理

この手の悩みというのは良くある話で「どうして女性が頑張るとこうなってしまうのだろう?そういえば男性はこんなに頑張ったとしても子どもを虐待する話は比較的少ないな。」と思ったりする。もちろん男性でも似たような話はあるのだが、やはり女性と比べるとあまり無いのである(教育界を筆頭に学校の部活などではさも当たり前のように、それこそ相撲業界であったり某大学のアメフトなんかは事件として取り上げられているが。)

 

とは言えこれは性別的に見た話なので「女性だから。」とか「男性だから。」と区切ってしまうのは脳みそが乏しい方かと思われる。女性でも男の子のように活発な運動をするのが好きな方がいるだろうし、男性であっても自身の肌をケアするような、それこそ化粧をしてしまう方だっている。つまり男であるか女であるかは身体の構造が違うだけで、心の中においては「男性的な心」「女性的な心」それも両方とも人は皆持っているかと思われるだろう。

こう話すと分かる通り、今回の記事タイトルを見て「『女は』ってどういうこと!?」「じゃあ『男は』そうではないって言いたいのか!?」と釣られてしまった方が何人かといるかと思われる。しかし、私はそういう性別的ことを話しているのではなく、あくまでも『心の』話をしているのだ。

『心』だなんてそんなあるかどうかもわからないことを話されても、と想像力に欠ける機械みたいな人がいるかもしれないが、今回は放っておくとしよう。なので私が言いたいのはこの「女性的な心」の部分を指し示す。言葉を言い換えるのであれば「女性的な心を持つ人は努力しても報われない」ということになるだろう。

「女性的な心」とは一体何なのだろうか?ここではあまり難しく考える必要は無い。例えば一般的な女性の姿の認識とは「優しい」「おしゃべり」「はしゃぐ」など、言ってしまえば女子高校生の姿そのものだろう。専門的に言えば「感性が強い」ともとれる。

努力は女には向いていない

それでは今度「感性」と聞いて思い浮かぶのは何だろうか?

「歌」

「詩」

「描く」

「読む」

「写真」

創造する」等

 

これらはどれも機械のように一定のものを一定に組み合わせるのが難しいものばかりなので感性的、つまり「女性的な心」であると言えるだろう。

書いてみて思ったのだが、私はあまり専門的な話になってしまったり、決めてしまうことがあまり好きではないので言いたいことを述べて今回は終わろうかと思う。

努力の話になるのだが、Aさんの話をした通り人は誰もが「こんなにも努力をしたのに、報われるどころか酷い目ばかり遭う。みんながみんな私を苦しめる!」と思うことがあるだろう。

私自身も男ながらそうした過去があったりするのだが、ふと、ある時に考えてみた。まず第一に「努力をすれば報われる」と思うこと自体が間違っているのではないか?と。そして次に「自分ばかりがこんな目に」と思うのは同情を誘っているみたいで、それは「泣き虫女」そのものでカッコ悪い。かと言って「自分は女だから!」とあたかも免罪符のように愚痴を周りに振り撒いたり泣き顔を誑かして、そのことが近所迷惑であることに気が付きもしない「自分は許される」と思っている女も「気持ちの悪いブス女」「馬鹿女」だ、ということである。

このように言ったとしても「ブスですが、何か?」と開き直ってくる輩も中にはいたりするのだから、救いようがない。おそらく言葉の意味すらも分かっていないのだろう。そうした方というのは自身が「本当にブス」であることを知った時、初めて後悔するのである。

自分はなんて醜いブスな女なのだろう...。」と。

このことは別に性別を批判をしているわけでも何でもない(頭の悪い馬鹿は『批判』『馬鹿にしている』と捉えるが)。悩みの課題から逃げているのだからそのツケが襲いかかっているだけなのである。

また努力をすることが間違っているのではないのは言うまでないだろう。正しくは間違った努力をしていても「自分は正しい努力をしている」と思っているその馬鹿さ加減、また努力をしても報われないことに対して酔っ払っている「可哀想な人」が駄目なのである。

どちらも「省みない」「目的を見失っている」など、哀れにも哀れな姿そのものだったりするのだが、、、。とにかく、こうした「女性的な心」を持つ場合は下手な努力をしない方がまだマシである。皮肉にも頑張らずに「周りのみんながそうしてるから。」「みんなからやれって言われたから。」「テストは80点取れれば後はいいや。」なんて方たちが意外な程に近所迷惑にならなかったりするので、ますます「努力する女」は報われないばかりである。

そして、もし努力をするのであればそれなりの覚悟は持っていないとおかしいだろう。例えばアフガニスタンに行って「殺されるわけがないだろう。」と思うのは甘えである。そこには同情なんてものは存在しない。自分がそうしたのだから。

いずれにせよ努力をするということは孤独と密接な関わりがあったりするので軽々しい気持ちで取り組んでもらわないでもらいたいものである。

そこには勝ったとしても、負けたとしても誰も褒めてはくれないのだ。